しがない庶民のモノローグ

当ブログの管理人の【お餅】と申します。このブログはなにがテーマなの?テーマなどありません。思ったこと、今日の出来事などを日記感覚で書いていきたいとおもいます。こんな感じでいつまで継続できるかわかりませんがマイペースにはじめていきたいとおもいます。

【独り言】自分なりのコミュニケーション



自分なりのコミュニケーションについてつぶやいてみる。

はじめに

自分は昔から人見知りだ。今現在もそれは変わらない。自分の周りの人達は「そんな事全然ないだろw」というけれど実際人見知りだと思う。 周りからそう見えないのであれば上手く弱点を見せずにいられているのだと思う。

人見知りといっても年を重ねるにつれてだいぶよくはなってきている。

昔は自分が人見知りという事がコンプレックスでしかたがなかった。

人に自分の気持ちを上手く伝えれない、人とのコミュニケーションをとれないという事がカッコの悪く、情けない事だと思っていたからだ。

会話をするということはあくまでも対同じ人種の人間なのになぜこんなにも苦手なんだろう? それがわからずめちゃくちゃ悩んだ時期もあった。

これはあくまでも対他人の時のみ。

仲のいい友達などに対してはまったく気を使わず 自分を表現できたしバカ話、世間話もできた。友達も少ないほうでは決してなかった。

だからこそ尚更悩んでいた。

学生時代

自分は小学生の時に転校を経験している。同じ県内だが別の所から今住んでいるところに越してきた。

転校生というのが珍しかったのか自然に人が集まってきて自然と友達はできた。

友達は少ないほうではなかった。

自分の住んでいる所はそこまで大きな町ではなく、小学生から中学生へなるときは他の小学校と一切合併することなくそのまま持ち上がりだ。

なのでただ中学生になったというだけで小学校の時から周りの顔ぶれはまったく変わらない。つるむ友達もそのまま。

幼い頃に他人と交わるという経験ができなかった事も自分が人見知りになった原因の一つだとも思っている。

高校はさすがに県内いろいろなとこから集まっているので見知らぬ同級生コミュニケーションをとれた。友達もたくさんできたが内心では地元が一番という思いがあり、どこか気を使っている部分もあった。

学校から家に帰宅して遊ぶのはやっぱり気楽な地元の連中

いま思い返せば高校生活は最高におもしかったのだけど、

仕事への影響

自分は高校卒業すぐに就職した。しかしここもで 人見知りは炸裂する

職場となると学校とは違い年齢も様々。年上の上司にも当然のように叱られたりもする。 考える事は「こんなくだらない仕事はやく終わって友達と騒ぎたい」という事のみ。休憩中も必要な会話のみ。世間話なんかもってのほか。する気もない。

こんな日が続き、人間関係に耐えられないといってすぐ仕事を辞める。こんなことを3回くらい繰り返した。仕事を転々としてた。

このときは仲のいい友達や気の合うやつしか受け入れないという思考だった。

今の仕事をするようになって変わった

最終的に行き着いたのが今の仕事。上司は親父、相棒は親友というまったく変な気を使わないでいい仕事に行き着いた。

役10年続いてる。

大工という仕事はコミュニケーションを嫌でもとらないといけない。他業者や現場監督との打ち合わせ他業者との仕事。 休憩中も当然 みんな一緒に休憩をとる。 人見知りがどうだとかは言ってられない、会話ができないと仕事がスムーズにいかない。

最初は苦手ながらも他業者や応援に来てくれた大工とコミュニケーションをとっていた。

そのなかで徐々に自分が変わりつつあった。

いままで他人との会話、コミュニケーションを極力避けてきたのだがやらなけらばならない状況になっていざやってみると意外にしゃべれるし、おもしろい そう思った。

めちゃくちゃ強面な人でもやさしかったり。嫌なやつそうな雰囲気の人でもいい人だったり。年配の人でも為になる話や、おもしろい話をもっていたり。

自分から踏み出して喋ってみるとおもしろい世界がたくさんあった。今まで避けていた事がもったいなくかんじた。

そこからコミュニケーションを大事にするようになった。

自分自身できた人間ではないしお人好しでもないので当然嫌いな人、ムカつく人はいる。

でもそれもすべてコミュニケーションをとってみてわかった事。

他人とコミュニケーションをとらないとその人が どんな人かは絶対見えない。

だからまず、その人がどのよな人間か判断するために必ずコミュニケーションをとるようにしている。実際に会話などしてみて好き、嫌い、合う、合わないを判断するようにしている。

今ではその人の事を知りもしないのに評価してはならないという思考だ。

RPGゲームに例えてみたw

人とは関わらない。一人で居たい。人が嫌い。という人も当然いるし否定しない。 でも自分はこれがもったいない事だと思っている。(あくまでも自分は)

なぜなら、自分自身が変わらない、一定のままになってしまうから。井の中の蛙状態になってしまうと思うから。

人と関わらずに自分ワールドだけにいると、外の世界にどんな事があるかがわからないと思う。

それを他人とのコミュニケーションを通じて教えてもらったり意見交換したりする事は自分自身にプラスなのではないかなと思う。

例えばRPGのゲームに例えると、エンカウントする(他人と遭遇)→戦う(会話する)→決着がつく(分かり合える)→経験値を貰う。(為になる話しを聞けた) こんな感じ。 わかりづらいかもしれないが自分はこう思っている。

経験値を稼いで自分のレベル上げをしている感じ。 当然戦わないとレベルは一定でレベルは低いまま。 自分自身が成長できない。そう思っている。

中には他人と関わらず他人の力を借りずに自分自身で自分を磨いて強化している強者もいる。こうゆう人はものすごく立派だと思う。

自分にはこれができないので他人から力(情報や助け)を借りている。

会話で緊張したら

自分はやっぱり今でも他人との会話は下手くそだし緊張する

何をしゃべっていいか、どうしたらいいかわからずフリーズしてしまいそうになるときもある。

そんな時こうしてる。

  • とにかくジャブを打つ(なんでもいいから適当な話題をみつけてとりあえずしゃべる、黙りこまない)

  • バレずに深呼吸する(アホくさいがなかなか効果的。一瞬余裕が生まれる)

  • たかが相手は人間だと思う。(おなじ人間なんだから緊張などする必要がないと暗示をかける)

  • とにかく焦ったりびびったりしているのを隠す(はっきりしゃべったり、堂々と立ち振る舞う)

意外にこれで乗り越えられる。

これをやってみても相手がだんまりだったり。無関心。だったらパスっと諦める。その人とは関わらない。自分が歩み寄っているのに受け付けてももらえない人とは関わらない。というより関われない。

最後に

よくわからない話しを長々としたが、結局言いたいことは。他人におじけず関わってみるのもなかなかいいものだということ。

実際にやってみて他人がどういう人か判断しればいいということ。

自分から歩み寄っていい風に転べば結果オーライだし。自分にとって経験値プラス。自分が成長できる!悪い方に転べばそれを教訓として次にいかせばいい、関われないやつとは関わらないと思えばいい

そんな独り言でした。最後まで読んでくださった方ありがとうございます。でわ